2014年3月28日金曜日

初ふきのとう

友だちのところ で、まだ今年は食べてないとぼやいた、まさにその日
届きました!ふきのとうが!なんというタイミング!

しばしばうれしいお便りや上越につながるもの、美味しいものをお気遣いしてくださるKさん

冷蔵便と聞いて、ハテ・・・ この時期に、冷蔵便ということは、もしや・・・?! いやいや早まってはいかんよ・・・ 
気持ち右往左往、抑えつつもウキウキ開梱すると・・・

ホラ!ね! 本当にふきのとう! 
半透明の袋に入ってたってわかります!

摘んできてくれたのが誰かってことも
解説を読まなくたってわかります!


中には、人参 (こちらも育て主はすぐにピン☆ときました)や、上越・高田の懐かしいいろいろが隙間を余すことなくぎっしりと入っていましたが、添えられているであろう解説の手紙を探し出すよりも、まずはふきのとう!

袋の口を開け、香りをひと嗅ぎ・・・・・・

嗚呼。。。。。


ぽろぽろぽろぽろっ。。。。。。


あれあれあれっ????

たった今までのニヤケ顔に、涙が涙が。。。。

あとからあとから・・・・ 
止まりません・・・・・(>_<)(>_<)(>_<)

即、お電話を、と思ったのですがしゃべれそうにないくらい
メールを打ちつつ涙、日を置いて今日、書いていてもまた・・・ 



人参も薫り高くて甘かった 。。。
Oさんのだと思えばポリポリと、そのままかじってしまいます


驚きです

転居から1年数か月が過ぎ、2度目の春
もう、だいぶ慣れたつもりでいました
親しい人たちの居ない日常
少しずつ遠のいていくこと
今の環境から学ぶこと
足りないものを満たすために踏み出すこと
新しいものを築いていくこと。。。

そうするしかないから、ではありますが、自分で選んだ道
悲観的ではなく、希望的に、朗らかに、それ自体を楽しめるように、なってきた
と思っていたのですが・・・
実際、いい感じ度の手応えは増していく日々なのですけれど・・・

それでも、久しぶりのこの涙は。。。。

恋しさでした。。。。

送ってくれた、高田のねーさんズ、丸山とーさん
「ふきのとう」と言えば・・・と、偲んでくれる上越の知人たち。。。

私にとって上越は
ふきのとうの香りでした。。。。。



あーーーもう、出かける前に書くんじゃなかった(>_<)
目も鼻も真っ赤だよ(>_<)



はい。この日の夜はメニュー変更で早速
今春初の、ふきのとうのスパゲティー

不意をつかれて刻みのりを買ってなかったので海苔無しバージョン
ゴマはたっぷりね♪


香り 届け~~~



帰宅した相方に
届いたふきのとうを見せて泣き
友だちブログの「旦那め~」の話をしてまた泣き・・・
こんなにみっともなく泣きながらしゃべるって
一体いつぶりよ(-"-)

それにしても!これこれ!このふきのとうです!
どんなにたくさん入れても、ニガニガ・エグエグならないの☆
毎度山盛り入れたつもりでも、もっと入れればよかった(-_-。)
と思うのです
感謝


2014年3月23日日曜日

梅佳代展




3. 23


43


5?
GO?



はじまりはじまり


梅佳代ちゃん
写真集『うめめ』で衝(笑)撃を受けて以来気になる方ですが、なんたって『じいちゃんさま』が好きです。数年前に金沢を訪ねた折、通りがかったビルのギャラリーで偶然にも『じいちゃんさま』の写真展が開かれていて、泣き笑いしながらじっくり観覧した後の会場では梅佳代ちゃんのサイン会開催中。嗚呼あの方が・・・とお姿を視野に入れながらも、なんでかなぁ… にわかに人見知り(/_;) 気恥かしさでサインをもらわなかったことを、後々まで後悔していました。
次回そういう機会があったら今度は絶対ミーハーになってやるぅ!と思いながら、誰だったらサインがほしいくらい、お話しして握手してほしいくらい、好きかなぁ・・・? なんて、すぐには思い浮かばないのだけれど、咄嗟の時にはバシッ!と後悔しなくていい行動ができるようでありたいと、強く思った出来事でした。

今回の写真展でも「じいちゃんさま」コーナーがあり・・・ クスリ、にやり、ぷぷぷ。。。
あぁ… でも、ばあちゃん様は。。。 ほろり・・・
でも新たな命も育っているんだね。。。 じんわり・・・

「写真に撮っていればじいちゃんは死なない気がして」撮り始めたという彼女の言葉が、過去形になってるのを読みました。もういつ死んでもいいと思っている、と。もちろん死んだらいやだけど、と。
多分それが生きているということだから・・・ と知ったこの数年の日々だったのでしょうか。

奇想天外な彼女のことなので、凡人が思うようなこんな風に思ったわけでもないと思うけれど、若かったから撮れたものとか、その時その時の彼女だから撮れたものがあるという、その遍歴を感じた写真展でした。



誰もがきっとそう
その時その時だから見えるもの、わかることがある
今はわからないことがいっぱいあっても
今しかわからないことをしっかり感じとっておけば、いいかな
と思えたりもしました


2014年3月17日月曜日

来福プロジェクト

ひとつ前のブログ「3.11」の1枚目の画像に小さく赤く写っているのは
「LIFEKUプロジェクト」制作のピンバッチ 「F‐pins(エフピンズ)

2月にエフスタイルさんに出張出店で来られていた福島のセレクトショップ 「PICK-UP」 さん、
商品も素敵でしたが、よそでも見かけたことのあったこのピンバッチをはじめ
ちょっとした展示のコーナーが気になって尋ねたところ、丁寧に話してくださいました


それは PICK-UPの方々 も発起人であったり実行委員であるという 「ライフクプロジェクト」に関するもの
詳細はHPでもたっぷりと拝見できますが、直接お聞きできたのがとてもよかったです
端的な言葉で、そこに込められたハートフルな想いが真っすぐ伝わってきました
取り扱う商品にも、取り組む活動にも、それぞれの核心に揺るぎないものがあることが感じられます

クリエイティブであるということ
日々の営みの場やカタチを持つということ
ふるさとや、ふるさとの人達を愛するって
こういうこと・・・・
その確かなるひとつのカタチ・・・


会津や郡山だけでなく福島市内まで足を延ばせたら・・・ マップの準備は万端です 
これは福島駅前の商店街マップ「フクシマナビ」
以前、新潟市にある北書店さんでいただいたものですが、これもまた来福プロジェクトの制作とのこと
よく見れば書いてあるのですが、この時ようやくその活動母体を知ることができたました


カンパにもなるこういうグッズは、込められた思いも活動実態もさることながら、純粋にそのデザインが「好き」 というのがはずせないポイントだと思うのですが・・・ そういう意味でも全方位的に、すごいな~ と思いました


原画はイラストレーターの藤本将さん
このデザインに描かれているのは
福島県の鳥・キビタキと県の花・ネモトシャクナゲですって☆



お買い上げの方にと用意されていた
美味しい甘納豆まで頂戴してしまいました
ああ、私のは カンパ のハズが・・・
恐縮です(/_;)

あたたかかったな
フクシマのひと


2014年3月15日土曜日

映画「樹海のふたり」

お笑コンピ・インパルスの二人が主演ということで気になっていた「樹海のふたり
山口秀矢監督と山﨑裕カメラマンのトークもあるということで観に行ってきました
(新潟シネ・ウインドにて21日まで上映)


作品もさることながら、トークを聞けたのがとてもよかったです (以下、ネタバレあります)

テレビの番組制作の仕事をしてきた山口監督が、病気を経て人生を思索する中で、本来やりたかった映画を作るということを復活の契機にすると決意した話、そこから実現までのいきさつ

74歳を超えてタフであり続ける山﨑カメラマンの人生観
自身の想いを語るなどはあまり好まない方のようでしたが、是枝裕和監督の「ワンダフルライフ」や「誰も知らない」を撮った人だと聞けば、うわ、この方ですかと、言葉より仕事から感じるものが多々あったり・・・

とにかくおふたりはかっこよかった!

脚本の土台となった実在のテレビディレクターの方については、プライベートに配慮しながら(その後についても少しだけ) 触れておられましたが、ともかく実直で誠実で、悩み葛藤しながらその仕事をしていたということを、映画の中でもテレビ業界内の問題のひとつの側面と絡めて表現しておられたし、トークでも再三おっしゃっていました

映像業界で生きてきた4人の方々の人生の一端、それも真髄の部分を、少しだけ垣間見させていただいたような感があり、映画からのメッセージだけでなく、別の重みも感じることとなったように思います


今回の上映及びトークショーは、自殺率の高い新潟県において自殺防止の活動をしている新潟県弁護士会・新潟市薬剤師会と新潟市が連携した新潟NPO協会の勉強会の一環としての企画でもあり、上映前にはその取り組みの呼び掛けもありました

劇中、「何故、樹海にはまってしまったのか」そんなセリフがありましたが、「人生は樹海みたいなものだ」と答えます。だれもが迷いながら「答え」という出口を探して生きているようなものだと・・・ そうかもしれません

山﨑カメラマンは、出ようとしなくてもいいんじゃないか? そこに居て、生きていればいい、ともおっしゃいました・・・ それもまた、そうかもしれません

これだ、と思うものを愚直に続けることと、その時与えられた状況を耐えたり何かでごまかしながらも取り組むことは、全く違う事だと思ってきましたけれど、重なる部分もあるかもしれないと思いました

深く広い樹海の中にあっては大差の無いことかもしれません

どちらも生きているということです


映画はあえて自殺予防を打ち出したつくりにはなっていません
樹海に自殺をしにきた人を取材し止めること、その後についてはなんの責任も持てない自分たちを思えば、それはその人にとってよかったのかどうか、と葛藤するシーンもあります
でも監督は、明確な「実感」のもと 「自殺はルール違反である」 と
そして「樹海は死の世界ではなくむしろ生に充ち溢れた世界だった」 ともおっしゃいました

映画で表現されていたことも、死のかたちではなくむしろ生のかたちであったと思います

救えなかった命のことも描きながら、それぞれの弱さや悩みを抱えながら生きて行く姿
やっと見えた希望があっさり打ち破られもするけれど、また次の光が射すことを諦めない。。。
そんな風景が淡々と描かれていました




◆余談ですが
監督がインパルスの二人を主演に起用するまでのエピソードがまたよかったです
私、インパルスの板倉さんというのは妙に目が離せないひとで・・・ 今ではめっきりお笑い番組も観なくなり、最近の活躍なども知らなかったのですが、だからこそ観たかったというか・・・
監督と板倉さんの出会いは、不思議なちからが「呼び合った」ものだったとのことですが、私は板倉さんに呼ばれた感じかな♪ 監督が板倉さんや「インパルス」という芸人のクリエイターとしての質を褒めておられたのが、ちょと嬉しかったです (。-_-)

そしてもうひとつ、「呼ばれたかも」 と思ってうれしくなったことは、後日 監督のブログ(撮影記日) を読んで知ったことですが、エンディングテーマ曲を唄うカズンにこんな素敵な曲が・・・

 「風の街」ですって☆

youtube で聴けます
http://www.youtube.com/watch?v=ari9Xtu9wUw

「街」の字はどっちにしようか悩んだところで、私は小ぢんまりとしたニュアンスの方の漢字にしたのですが、歌詞は・・・ 嗚呼。。。 素敵・・・
なんで今まで聴く機会がなかったのでしょう・・・ いい歌です
胸 きゅ 。。。

監督とカズンの最初のお仕事は、この歌だったとのこと
カズンもですが音楽担当の関口知宏さんはじめ、役者陣の方々についても、これまでの監督の仕事の縁が束ねられて、今回の念願の映画になったご様子・・・

それはまるで、樹海で迷ったディレクターのふたりが自殺しに来た人と出会って出口を教えられて助かる、という実話のシーンを思わせます

思わぬところで助け、助けられ
自分ではわからなかった出口が、誰かと伴ったことで見つかったり・・・
積み重ねてきたことの意味の発芽って、こういうことだよね! という希望のカタチ・・・

その先にも問題や葛藤はあるのだけれど
でもそれが生きるということだから・・・



とりとめなくなりました

この日、行けてよかったです

このところインプットが続いていたので
アウトプットしたいことがいっぱいです

まとまらないままですが
え~い!アップ

2014年3月11日火曜日

3.11 

今年は福島県に行けたらと思っています
昨年、阿賀野川上流の町を訪ねる機会があって、新潟県の東端の町までは確かに遠い印象だったのですが、そこまで行ってしまえば福島県境・会津や、友人の住む郡山まではもうすぐそこ

昨夏の山形県は鶴岡・酒田と同様、この街に居る間はなるべくここから行きやすい所へ、
石川・輪島を訪ねたように、福島・会津の漆器も見に行こう、当たり前に旅をしよう・・・ 
なんて、そんなふうに思うこと自体、まだ意識しているというものですが、それも自然なこと
たくさんの悲しみがまだ癒されることなく、行く先もみつからぬまま、漂っているのですから

ただこれは
同情するのとも、忘れるのとも、鈍感になるのとも、過敏になるのとも
違う感じのように、思うのです

言葉にはならないけれど
言葉にならないことだらけだけれど・・・


3年前のあの日、子どもさんを産んだおかあさんが 「なんとなく申し訳ない」 って
その日、出産したことを、友達にもなんとなく言えなかったと
出生届を違う日にして出した方もいたと、テレビから伝え聞いて、 ショックでした
どれほど辛い気持ちだったろうか・・・ と、 言葉を失くしました

もちろん、誕生日と命日が同じになった方がたくさんいて(それが家族だったり友人だったりもして)思うのも辛く、やるせないことなのかもしれないけれど、あの大変な日になんとかこの世にデビューできたこと、誕生させてあげられたことを、誰もが迷うことなく祝福したであろうと、疑うことなく思っていました
それくらい私はわかってなかった、と感じさせられた報道のひとこまでした

でも、わかってないかもしれないけれど、思います
とてつもなく重い意味のある日になってしまったけれど
その日に生まれたからといって、何も背負わなくていいと
誰かの分までなんて、生きなくていいと思う
ひとは自分の人生を生きるだけでも大したことなんだって、あれは、それを思い知らされた日

立派な人でなくたって、やさしい人でなくたって
どの日に生まれた命もみんな
どの日に亡くなった命と同じくみんな
尊い・・・


話は戻りますが、今、福島を旅しようというのは
そんなことと同じような気がするのです

どの日も同じように大切で

今日もまた、つながっているひとと、心の中で灯になってくれているひとに
感謝